丸一型日付印

分室

 分室の丸一印というのがある。初めて耳にするかたも多いと思うが、倉吉分室の丸一印が塩見和彦氏によって分室印としては初めて発見され、田中寛氏によって郵趣1994年4月号に発表された消印である。
 明治40年5月、東宮殿下(のちの大正天皇)が山陰道を行啓された。その際、山陰地方は元々通信手段が不便な地であるため、通信施設を新規設置もしくは臨時に設置した。施設の概要は以下の通りである。

設置箇所 期間
臨時電信分室 40.5.13-40.5.15 40.5.15 ジ112-2818
米子 40.5.13-40.5.17
倉吉 40.5.15-40.5.18 40.5.17
鳥取 40.5.16-40.5.21 40.5.1x Yahoo07/9
2等局のため櫛型
電話局(新設) 40.5.11-
米子 40.5.11-
安来 40.5.16-


※このページは、郵趣1994年4月号田中寛氏の記事、および、交通第392号の記事を元に塩見和彦氏のご協力を得て作成しました。なお、臨時電信分室と電話局の他にも特殊日付印の押印サービスや郵便線路の拡充がありましたが、ここでは割愛します。